神西町会

神西町会 (じんせい)

ここはかつて中猿楽町と呼ばれていました。室町以降、猿楽(のちの能楽)は武士たちに楽しまれ、中でも観阿弥・世阿弥の流れを継ぐ「観世座」は、幕府から手厚い保護を受けていました。その家元観世太夫らの屋敷があったことから、「猿楽町」という名が生まれました。「中猿楽町」という町名が正式に誕生したのは明治5年です。この地域の町会は、その名に「中猿」の二文字を残し、神田中猿町会と名乗っていましたが、昭和29年、神保町と西神田の町名から「神西町会」と改めて現在に至っています。